各界の推選・受賞に輝く話題のシリーズ!――
創作児童文学選(あかね書房)
ピカピカのぎろちょん
(佐野美津男・著/中村宏・絵)
(1968年)
★(あらすじ:ネタばらしあります)★
『だけどぼくは海を見た』の佐野美津男・中村宏コンビの物語。
知る人ぞ知る有名すぎる物語です。
『だけどぼくは海を見た』に出てきた緑のヘリコプターがここでも登場する、という記述を読んだため、
読み比べれば読解の手掛かりがつかめるかと思って読んでみました。
あらすじについては、私の下手な説明より、以下のページをどうぞ。
児童文学書評 ピカピカのぎろちょん
http://www.hico.jp/sakuhinn/6ha/pika.htm
児童書読書日記 ■[児童書・国内]祝復刊「ピカピカのぎろちょん」(佐野美津男)
http://d.hatena.ne.jp/yamada5/20051101/p1
★( 登場人物)★
アタイ ……語り手の主人公。マアの姉。
マア ……アタイの弟。
ゴン、ヤキブタ、タマゴ、メガネ、ミイコ、メソ、キンヤ、ピアノ ……近所の子ども達
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★(感想
:2013年、ピロピロは始まっている!
50年後の日本を予言していたトラウマSF!)★
もうこれはすごいですねえ。不条理SFというべきですか、合理的に説明できるストーリーではありません。
不条理というかシュールというか、あえて合理的・理論的・写実的・現実的といった文脈を無視して展開されています。
読む人は、不条理な世界に放り出され、取り残されてしまいます。
これは一体どういう意味だ!?
読む人を疑問と不安の世界に置き去りにしてしまいますね。
その釈然としない感情が澱のように残ります。
子どもの頃読んで、長年忘れられないというのも分かります。これは忘れたくても忘れられない読後感ですね。
心理学的に分析すると、どう説明がつくのでしょうか?
[wikipedia:不条理] [wikipedia:シュルレアリスム] [wikipedia:不条理演劇]
物語についても、色々な解釈が成り立つと思います。
物語中で明瞭に説明されていないため、各人なりの読み方ができるでしょう。
面白いと思った解釈は、主人公であり語り手である「アタイ」の科学的精神や真理の探究心に注目し、
「科学者としてのアタイ」に焦点を当てた説です。
トトやんのすべて
佐野美津男「ピカピカのぎろちょん」 感想
http://ameblo.jp/kusumimorikage/entry-11319356301.html
物語の解釈は一つだけではない、色々な解釈ができる、という例でしょう。
但し、この物語が執筆された当時(1960年代後半)、安保闘争で社会は騒然としており、佐野美津男さんも、
学生運動をはじめとする若者の有象無象の風俗を取材し、雑誌に連載していたということです。
砂河猟 佐野美津男試論
強者のエネルギー ―『ピカピカのぎろちょん』アタイの考察―
http://www5.hp-ez.com/hp/cojicoji/page8/2
そういった執筆の背景から、やはり「ピロピロ」は、内戦や革命、クーデター、戒厳令のようなものを象徴したもの、と解釈するのが自然でしょう。
そう思って読み直してみると、本書に描かれる「ピロピロ」は、まさに2013年の日本で現実に起こっている現象なのです。
以下の記述は、幾つもの解釈が可能なこの物語に関する、私個人の解釈であります。
これが正解だ、と決めつけるつもりはありません。
ワンオブゼムの一つの仮説、こんな読み方もできるのでは、というつもりで読み流して下さい。
↑物語の舞台となった町の見取り図
★(ハトの謎)★
物語の冒頭、主人公で語り手の「アタイ」は、役所の前の広場にある噴水に来ているハトの数を数えています。
アタイは「82羽」と言い、弟のマアは「84羽」と言います。
80匹を超える動くハトの数を数えるなんて、何て動体視力がいい姉弟なんでしょうか。
まるで日本野鳥の会です。
そこにサッカーボールが飛んできて、ハトは逃げてしまいます。
「あのハトたち、もしかすると、もうこないかもしれないなア。」
とマアは心配し、その不安がアタイにも伝染します。
この辺から既に不条理で不安なモードに入っているのです。
そして実際、翌日は雨でハトは来ず、その次の日からは立入禁止や高い壁のため、ハトが来ているのか
どうか、分からないのです。
つまり、「ピロピロ」が始まってからは、ハトが来ているのかどうか、分からないのです。
ハトは、「平和の象徴」と言われます。
噴水に来ていたハトは、それまでの平和な日常を象徴していたのかもしれませんね。
それに、これは考え過ぎでしょうが、ハトの数が「82羽」や「84羽」ということについての解釈です。
実は日本国憲法は、103条から成り立っているのです。
実はハトは103羽いたのではないでしょうか?
……と考えるのは考え過ぎでしょうか?私の個人的解釈ということでお許し下さい。
★(緑色のヘリコプターの謎)★
上空に現れる緑色のヘリコプターとは、一体何なのでしょうか?
緑色の小さなヘリコプターです。
それに、ヘリコプターにしてはずいぶん高いところをとんでいるので、どんな人がのっているのか、ぜんぜんわかりませんでした。
緑色というと、現在では、「エコ」「環境」を象徴する色、というイメージが一般的です。
だから緑色のヘリコプターというイメージからは、そう悪いイメージはありません。
しかしこれが実は「迷彩色」だったとしたら、イメージがガラッと変わります。
もしかすると、ヘリコプターは、「緑色」ではなく、「迷彩柄」をしていたのではないでしょうか?
はるか下界から見上げた子どもには、「緑色」と表現するしかない色だった、と。
確かに挿絵では、緑色に描かれていて、迷彩柄ではありません。
しかしここで迷彩柄の挿絵にしてしまうと、読者にイメージを固定し、「種明かし」
のようになってしまいます。
そのため、挿絵は、語り手が語った通り、「緑色」のヘリコプターになったのではないか。
そう思って挿絵のヘリコプターを見直すと、この緑色は迷彩色を思わせる濁った感じをしているように思えるのですが。
そう解釈すると、『だけどぼくは海を見た』に登場する緑色のヘリコプターも、あまり嬉しくない存在のように思われます。
皆さんは、緑色のヘリコプターについて、どう思われますか?
★(9本のイチョウの木の謎)★
さて、町にはバリケードが築かれ、噴水広場に行くことができません。
アタイとマアは、アーケードの上を伝って噴水広場を見に行きます。
9本のイチョウの木があり、左端の9本目のイチョウが倒され、その向こうに、ギロチンが見えます。
この現代にギロチンとは前時代的ですが、象徴的に表したものでしょうか。
しかし私は、“9本目”のイチョウが倒され、その奥にギロチンが見えた、という記述が気になりました。
憲法9条が攻撃され、改悪された、ということを想像してしまうのですが。
ちなみに、あかね書房版の表紙は、倒された9本目のイチョウをアタイとマアが見ているシーンです。
そして裏表紙は、そのシーンを後ろ側から見た構図なのです。
折られたイチョウの木が重要な意味を持っている、ということなのではないでしょうか?
そして、復刊されたブッキング版も同じ表紙のようです。
画像を検索してみると、オビがかかっていて、折れたイチョウの木の下に
「はん人はピロピロ?」
という文章が表示されています。
イチョウの木が折れたことと「ピロピロ」との深い関係を思わせます。
★(残酷な遊びの謎)★
「アタイ」の友達の子どもたちは、ギロチンの模型を作り、「ぎろちょん」と名付けます。
「ぎろちょん」で野菜を切って遊びます。
子どもたちは善悪が分からず残酷なところがありますから。
大人たちがやっていることを善悪考えずに模倣することがあります。
しかし「ぎろちょん」で切る対象が、野菜であって良かったですね。
(切られた野菜も、後で料理に使う、と説明されています。)
普通ならよりリアルに、人形の首を切ろう、と思ってもおかしくないところです。
しかしそれは余りにも残酷すぎる、と、制作側が自主規制したのかもしれませんね。
★( 歩道橋の穴の謎)★
商店街を抜けて国道の向かいに噴水公園があります。
国道から公園まで、歩道橋がかかっています。
「ピロピロ」は、歩道橋に穴が開いて通行禁止になって始まりました。
突然「ピロピロ」が終わった時、アタイとマアが歩道橋を渡ると、穴は開いていませんでした。
実は穴は開いていなかったんじゃないかという疑惑もあります。
この歩道橋の穴とは、一体、何を意味しているのでしょうか?
何かのきっかけや口実なんでしょうね。
そういった非日常に乗じて事態が変わっていくという。
★(黒い高い塀の謎)★
そして、黒い高い塀が築かれ、噴水もギロチンも見えなくなってしまいます。
バリケードが撤去され、アタイとマアは噴水広場に向かいます。
イチョウの木に登って塀の中を覗こうとしますが、広場の回りに有刺鉄線が張り巡らされ、入ることができないのです。
物語はここで突然終わり、佐野美津男さんの「あとがき」が始まります。
名目は「あとがき」ですが、物語はまだ続いています。
「いまは夏です。
いまでも、ふん水のあった広場には、黒くて高いへいがあります。
でも、町の人たちのほとんどは、なぜ、あんなものがあるのか、まるで気にしていないようです。
ずっとまえから、あそこには、あれがあったと、おもいこんでいるような人さえいます。
しかし、アタイはわすれていません。あの黒くて高いへいがあるところには、たくさんのハトが集まるふん水があったことを。そして、ピロピロのとき、ギロチンがおかれていたことを。ギロチンはピカピカと光っていたことを。
いつかきっと、アタイは、黒くて高いへいをこわして、あのなかにあるものを、みんなにはっきりと見せてやろう―と、おもっています。
もしかしたら、それが、ほんとうのピロピロかもしれない―と、アタイはかんがえています。」
その後のアタイの友達や町の様子が描かれ、この一文で終わります。
「いつかおまえを、たおしてやる。せいぜいそれまで、いばっておいで。」
アタイの真実追求の執念が伝わって来るあとがきです。
アタイは自分で考え、確かめ、行動しようとします。
大人たちがこう言うから、とか、周囲のみんながそうしてるから、とかいう理由で流されてはいません。
ジャーナリズム精神、とでもいいましょうか。
そして、状況は全て元通りに戻ったのではなく、「ピロピロ前」と「ピロピロ後」には明らかな違いがある、と、作者自身の
「あとがき」で示唆されているのです。
この「ピロピロ前」と「ピロピロ後」の違いの象徴が、「黒い高い塀」なのではないでしょうか。
★(きろちょんの謎)★
それでは、タイトルにもなった、この物語の重要キーワードである、「ぎろちょん」とは、一体何なのでしょうか?
物語中で述べられているように、噴水の横に作られたギロチンは、確かに、見せしめのためのものではないでしょうか。
権力による暴力装置、弾圧支配の象徴とでもいうべきものでしょうか。
それでは、アタイ達は、なぜ、それに似たおもちゃを作ったのでしょうか?
強力な力となるものですね。
扱い方によっては、よど号ハイジャック事件(1970年)やあさま山荘事件(1972年)のような悲劇的結果を生むような危険なものなのでしょうか?
これについては、よく分からないのです。
そういえば「アタイ」はかなり我が強く、弟のマアの態度が気に入らないと、頭にゲンコツを食らわせたりします。
近所の子ども達の中でもリーダー的存在で、命令したりなんかします。
真実を追求するためにはある程度の攻撃性や反骨心も必要なのですが、一つ間違えばとんでもない方向に行ってしまいます。
皆さんは、どう思われますか?
★( 追記:2013年の日本で始まったピロピロ!)★
以上、物語の内容について見てきました。
考えれば考えるほど、「ピロピロ」は2013年の日本を予見したものではないか、と思えてきます。
例えば7月29日、麻生太郎副総理が、憲法改悪を目指す政治的な団体の会合で発言しました。
「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。
だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。 」
http://digital.asahi.com/articles/TKY201307310772.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/politics/update/0801/TKY201307310772.html
憲法改悪を目指す集まりでのこの発言。
早速、ニュースサイトやツイッターでも紹介され、心ある人々が批判のコメントを投稿しました。
ところが、その一方で、自民党支持者、自民党ネットサポーターなども、麻生氏擁護のコメントを書き込むのです。
こんな明らかにアウトな暴言でも、屁理屈と詭弁で逆の意味に解釈し、「誤解された」「マスコミが曲解した」と詭弁を弄するのです。
こんな詭弁でも、コメント欄に数が並べば、それなりに説得力があるように見えるのです。
時間がなくて普段は政治関係の記事を読まない人が、たまたまこういった詭弁が並んだコメント欄を見ると、
「何だ誤解なのか」
「マスコミの曲解なのか」
と思ってしまうかもしれないのです。
「嘘も100回言えば本当になる」とはよく言ったものです。
良識ある人々は勇気をもって発言していかなければなりません。
これは言論戦なのです。
確かに、たかがネット上での争いです。
ネットを見ない一般の働き人や子どもたちには別世界の次元での争いです。
普通の人は何も変わらない日常生活を送っています。
それでも、ネット上では、憲法を巡って、思想と言論の自由を巡って、熾烈な言論戦が戦われているわけです。
これこそ、「ピロピロ」であり、「ピロピロ」と「反ピロピロ」の激しい戦いなのではないでしょうか?
そういえば、「TPP反対」を政権公約として政権をトレモロした自民党ですが、
ある日気づいたら、「TPP参加」に変わっていました。
誰も気付かないうちに変わっていたのです。
(ピロピロ)
(ピロピロ)
ある日気付いたら、96羽目のハトが殺され、9本目のイチョウの木が倒され、黒い高い塀が築かれているかもしれません。
黒い高い塀の中には、ギロチンが置かれ、まつろわぬ人たちが処刑されているかもしれません。
(それは軍法会議か、日本版FEMAかも知れません)
誰も気付かないうちに、少しづつ、少しづつ、進行しているのかもしれません。 (ピロピロ)
憲法を改悪されないためにも、改憲派の詭弁に惑わされないためにも、ワイマール憲法が変わってナチス憲法に変わった歴史について、
学ぶことが必要なのかもしれません。
「ピロピロ」は2013年の日本で、既に始まっているのです! (ピロピロ)
2013.08.03(土)
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