なぞにみちた宇宙時代の、夢あふれる冒険の物語――
創作子どもSF全集(国土社)
ぼくのまっかな丸木舟
(久保村 恵・著/中村 宏・絵)
(1970年 初版発行 1982年 再版発行)
★(あらすじ:ネタばらしあります)★
ポプラの木がざわざわと揺れ、灰色の雲が、東の方からやってきた。
台風が来るのである。
小学校のプール解放も途中で切り上げられ、中に入っていた生徒も、帰らされる。
4年2組の森コースケと反町ノリオは、なかなか帰らずに暴れた罰で、残らされて5、6年生と一緒にプール掃除をやらされる。
しかし、暴れ者の2人は、デッキ・ブラシを持って決闘してしまうのであった……。
帰り道、肉屋の空き地で決闘の続きをしようとしていると、見知らぬ男に呼び止められる。
「あの、きみたちN小学校の生徒だよね」
25、6歳くらいで、まんまるいうるんだようなまばたきをしない目、うだるような暑さの中で、はば広のカラーのついたワイシャツを着て、きちんとネクタイを締めている。
N小OBで釣り道具のセールスマンというこの男、かぜでもひいているらしく、声を出すのがおっくうな様子。
「きみたちにすばらしいことをおしえてやろう。
こんばん八時半ころ六月川へいくんだ。
どんなことがあってもいくんだ。
台風のせいで、川の水はおそろしいほどにふえる。
きみたちは六月大橋のわきの土手の上でまつのだ」
「じっと、まつのだ。なにかがやってくるまで……すごいえものがやってくるまで!」
と言い残して彼は去っていく。
あっけにとられる2人。そこに、クラスメートの水谷ヨーコが現れる。
「ふたりともデッキ・ブラシをおったつづきをやらないの?あたし、それがみたくてついてきたのよ」
ヨーコは大きなまるい目で、二人を見つめて笑う。
「あんたたち水泳するのすき?およぎがとくいだってことは、さっきプールでみててよくわかったけど」
ノリオが図書館で借りてきて抱えている『魚のひみつ』を見てうれしそうな顔をしてうなづいている変な少女である。
「こんどあったとき、かならずやっつけてやる。」
と言ってコースケは駆け出す。
その晩、台風が来て激しい暴風雨となった。
丁度8時半頃にこの町の真上を通過するという。
コースケは2階の部屋から親に黙って外に出て、ノリオと一緒に六月大橋に向かう。
男が命じた場所で待ってると、8時半頃、暴風雨がピタッとおさまる。
丁度台風が通過中なのである。
「川上をてらすんだ、コースケ。なにかがやってくるぞ!ながれてくるぞ。えものだ!」
川上から荒れ狂う波間に見え隠れしながら、それはぐんぐん流れてくる。
「おい、ノリオ、ロープ、ロープ!」
「がってんだー、しっかりてらしてろよー」
「やった、かかったぞ、ノリオ。すごいぞ、それっ、ひっぱれー」
2人はロープを引っ張る。
引っかかっているのは、大きな真っ赤な丸木舟であった。
丸木舟を土手に引き上げる際、ノリオが川に落ちて流されてしまう。
コースケはサーチライトを照らして川面を照らし、川下の方に走りながらノリオを捜す。
サーチライトの中に、例の釣り道具のセールスマンが現れる。
不安に押しつぶされそうになりながら、コースケは丸木舟の所に戻る。
板切れが飛んできて後頭部に当たり、コースケは丸木舟の上に倒れ込んだ。
コースケは丸木舟に乗って、ノリオとセールスマンを捜して三日三晩、六月川を下っている。
三日の間、コースケは色々なものを見る。
何か思いがけないものがこの先に待ち構えているような気がする。
「そんなきもちになるのは、きっと川の水が青すぎるからなんだ。
ノリオをつれ去ったあの濁流が、いつのまにこんな清流にかわったんだろ。
すみきった色の六月川なんて、うまれてはじめてみる。」
丸木舟はスピードを上げる。気が遠くなるほど速くなる……。
気が付くと、ベッドの上である。
頭の怪我と熱のため、6日間も入院していたという。
その間、ノリオは発見されず、大人達は捜索をあきらめたらしい。
コースケは、丸木舟を捜しに、六月川の土手に行き、ヨーコに会う。
あの日、倒れていたコースケを見つけて病院に運んでくれたのは、ヨーコの父親の水谷博士だった。
水谷博士は、六月大橋のたもとにある水産試験場の主任技師で、水産大学の教授もやっている。
丸木舟は、水産試験場の物置に隠してあるという。
コースケは、水産試験場に連れて行ってもらい、物置の中の丸木舟を見せてもらう。
「ああーっ、あいつだ!」
コースケが動く間もなく、ヨーコが戸をぴしゃっと閉めてしまう。
「だめっ!コースケくん。いま、もちだすことはできないわ。
もちだすとめんどーなことになるもの。あんたのものだってことがわかれば、それでいいのよ」
ヨーコはコースケの手を取り、父親の水谷博士の所に引っ張っていく。
博士は、深海魚が体の中に栄養を貯めておく仕組みを研究し、U−7という薬を作って特許を取得し、大もうけしたという。
「アポロ計画なんかで月にいくより、ずっとかくじつさ。
海のなかには、月や火星に期待できるものよりも、何倍か重要な資源がかくされているんだよ。
さしずめ開発をまつ宝庫ってとこさ」
博士は、海に目を向けるのは、もっと重要なわけがある、と言う。
「人間がこの地上にいられるのは、もうそれほど長いことじゃないんだ。
はっきりいって、ぼくの計算じゃ、あと三十年をまつことなく地上に人間は住めなくなる。
核実験なんかをもちだすまでもなく、光化学スモッグつまり、オキシダントなどの毒ガスをはじめとするあらゆる公害が、その原因だ。わかったかい」
コースケは、39歳になるまでに地上に人間が住めなくなるのか、と計算して恐ろしくなる。
博士はかつて、30年後の破局理論を論文にして学会やマスコミに発表しようとしたのである。
しかし、秩序が乱れ、騒乱を起きるということで、政府や財界人が反対し、闇に葬られてしまったのだという。
「そこで、ぼくはやむなく、ひとつの手をうった。
人間が三十年たっても生きのびるためには、どーしてもひつような手段をとったのだ」
しかしその手段は、まだ秘密という。
そして博士は、明日、ヨーコと一緒に六月川の上流に設立したミズタニ水産試験場に連れて行ってあげるという。
30年後の未来が絶望的なら、今のうちに遊んでおこう、とコースケは思う。
そして、意識不明の時に見た美しい夢を思い出す。
あの時は、思いがけないすごいものを期待する気持ちで一杯だった。
しかし、現実には……。
「熱にうなされていたとはいえ、もういまのおれは、けっしてあんなゆめはみられやしないさ。
三十年もしないうちにじぶんがほろびてしまうことをしってる子どもがみるゆめなんて、ひでー悪夢にきまってらー。」
六月川は、4つの県を通る、日本でも一、二を争う大きな川。
信濃川や石狩川に次いで、日本で3番目に長い川である。
朝6時に出発して、駐車場に着いたのは、9時を過ぎていた。
ここからミズタニ水産試験場まで、歩いて5分くらい。
コースケは、丸木舟をかついで歩いていく。
木々の間に、試験場が現れる。
出てきたのは、例の釣具のセールスマンである。
「先生、すこしずつ循環水槽から流水槽にかえていったほうがよいのではないかとおもうんです」
「ここは比較的河水も豊富ですし、子どもたちもつめたい水になれていったほうが、やがては……」
男は案内する。コースケは、丸木舟を引きずりながら着いて行く。
「そんなものとはなんだ。おれはこいつとはなれるもんか。建物のなかだろーがどこだろーが、かかえてくぜ」
広い研究所の中、いつの間にかコースケは一人にはぐれている。
丸木舟をかついで歩いていくと、水槽の前に出る。
中では、大勢のまっばだかの子ども達が足に小さなゴムの水かきをつけて泳いでいた……。
ノリオがコースケを見つけ、懐かしそうに笑っている。
>―どーだね、コースケくん。これがきみのしりたがってたひみつだよ。/
博士の声がどこからか聞こえてくる。
>「わかったぞー。じゃ、三十年後にも人間が生きのびるための手段ってのは、これだったんだな」
―そのとおりだ、コースケくん。
健康で、水にたいする順応度の大きい子どもを水棲人にかえ、きたるべき人間の未来の悲劇にそなえるのがその手段なのだ。
われわれおとなは、じぶんたちが生みだしたおろかでいまわしい死を、子どもたちにまでおしつけるべきではないし、またその権利もないんだよ。/
博士達は、条件に合う6歳から12歳までの子ども達を捜し、コースケは水棲人128号に選ばれたという。
水棲人127号すなわちノリオがコースケに会うため、水槽から出てくる。
えらの手術をして間もないので、まだ空気中でも呼吸は可能で、声帯も退化していないのである。
しかし、体はぬるぬるしていた。
ノリオは、「水棲人が人類を超える超人類だ」、と、博士に教えられたような宣伝をする。
コースケは気持ち悪くなって、またけんかのようになってしまう。
ノリオは、コースケも明日は手術される、と言う。
ノリオは、風の音が聞こえる、と言う。
耳の構造の違いから、水棲人は人間より耳がいいのである。
さっき博士が今晩は嵐になると言っていた、と言ってノリオは帰っていく。
コースケは一人、丸木舟の中で考える。コースケの耳にも聞こえるほど、風の勢いが強くなってきた。
>
「どこかに地上とつながっているところがあるんだ。たとえば通風孔のよーなものが?!」
そいつをさがそう、さがすんだ。あしたはえらの手術、じょーだんじゃねーや。
おれはノリオとはちがうんだ。ぬるぬるの水棲人なんかになりたかねーよ。サカナ人間なんかまっぴらだい。
風の音は、ますますつよまってきた。
*
いま、コースケをのせたまっかな丸木舟は、はげしい風雨にあれくるう六月川をくだっていく。
ごおごおとさけび、くだけちる波のしぶきをつらぬき、丸木舟はすばらしい速度で走る。コースケはさけぶ。
ゆけ、ぼくのまっかな丸木舟。/
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★(感想
:1970年のSFが描いた終末的未来観!
まっかな丸木舟が象徴するものとは……?)★
このHPを開設していまして、反響は滅多にないのですが、たまたま、掲示板にこの物語に関する書き込みが続いたことがありました。
http://www.startingweb.com/bbs.cgi?job=view&bbsid=3515&mid=63
http://www.startingweb.com/bbs.cgi?job=view&bbsid=3515&mid=127
http://www.startingweb.com/bbs.cgi?job=view&bbsid=3515&mid=142
(レンタルしていた掲示板が突然消えてしまったので、ログは見ることはできません。)
また、HP開設初期の頃、いぬさんやbo-ramさんが、この物語について書き込んでくれたこともありました。
また、復刊ドットコムにおいて、創作こどもSF全集の復刊リクエストが行われています。
そこで、この作品に関するコメントをする方も多いのです。
そこで、今回意を決してこの作品に取り組みました。
実はHP開設初期の頃、いぬさんやbo-ramさんから
この作品について掲示板に書き込みがあった際、この物語を取り上げようとしたことがあります。
近くの公立図書館の書庫からから借りてきたのですが、忙しくて読む暇がなく、結局そのまま返却してそれっきりになっていました。
今回改めて借りたのが2003年6月25日で、返却期限が7月9日。
本を開くと、前回私が借りた時の貸出票がそのまま残っていました。
借りたのが2001年6月26日、返却期限が7月10日。
2年後に1日違いで借りた、この偶然の一致。
ちなみに、前回は、『犬の学校』『だけどぼくは海を見た』と一緒に借りていました。
掲示板の142番でJ−ss さんが書かれておりますが、確かに不気味な挿し絵です。
いぬさんも、中村宏の挿絵が印象に残っておられるようです。
中村宏さんの画集『図画蜂起1955−2000』についても、以前紹介しました。
http://sfclub.sakura.ne.jp/index.html
この時いぬさんから感想のメールを頂いたのですが、残念ながら消してしまい、HPに掲載できませんでした。
それはともかく、今回の『丸木舟』の表紙です。
荒れる波の中から赤い棒(丸木舟)がにょっきり出てきています。
男性器を思わせる不気味さです。
その棒の先端にロープが巻きつき、手前に引っ張っています。
そして棒の上の波間から、、大きな目玉が2つ現れています。
嵐の夜の丸木舟引き上げを描いたものでしょうか。
目玉が、背後に潜む罠を象徴しているようです。
裏表紙の絵も、不気味ですね。
これは、物語ラストの、丸木舟に乗って逃げ出すシーンを描いたもののようです。
何と、丸木舟に乗っているのは、のっぺらぼうで、丸い目が2つ空いたロボットのようです。
後に考察しますが、ここは人類の将来を選択する大事なシーンだと思うので、ロボットではなく、しっかりした人間として描いてほしいところです。
ともかく、『犬の学校』でもそうだったように、中村宏さんの挿絵が、物語に不気味な相乗効果を上げていますね。
ストーリーは、佐野美津男『犬の学校』を思わせる不気味なSFです。
30年後、地上に人が住めなくなる、という水谷博士の終末予言。
この作品が発行されたのは、1970年。
何と2000年の破滅を予言しているのです。
この当時に既に、こういった終末予言を描いているのに驚きます。
五島勉の『ノストラダムスの大予言』が出たのは1973年のようです。
私が子どもの頃には既に出版されていたんですね。
後には終末予言を知ってパニックとなり、人生を狂わすことになるのですが、子どもの頃は、そんなことつゆ知らず、バラ色の未来を信じていました。
当時、21世紀だとか2001年だとかは、本当に遠い遠い未来の世界で、科学が発達して戦争も病気もない天国のような世界だというイメージが一般的でした。
そう、このHPでも紹介した『アンドロボット’99』
http://sfclub.sakura.ne.jp/index.html
のような世界が、21世紀のイメージだったわけです。
(ついでながら、『アンドロボット』に登場する火星の双子の兄弟と、『丸木舟』の主人公の名前が似ていますね。)
創作子どもSF全集の名の通り、この全集は、こどもを対象としています。
そんな中、このような未来像を描き出すとは、すごいことだと思います。
そのような、こびないところが、記憶に残る作品となった要因なのではないでしょうか。
『犬の学校』を紹介した時、西岸良平の短編マンガ『犬の生活』を紹介しました。
この作品が収録されている短編集『地球最後の日』の中に、『海底人8823』という短編がありました。
受験生の主人公が、勉強に飽きた夜、散歩に出ます。
その当時、行方不明が全国で多発していたのです。
散歩の途中で主人公は、何者かに誘拐されます。
気が着いた時には、彼は海底人8823に改造されていました。
数年後には地球は水没する、と予言したマッドサイエンティストが、人類を救うため、という名目で改造したのです。
しかし数年後、地球は逆に干上がってしまいます。
海底人8823は、砂漠と化した東京を歩き、ようやく自分の家があったと思われる場所に辿り着きます。
両親を思い出しながら、見つけた水道の蛇口をひねると、水が出てきます。
8823は、小さなオアシスを作り、小鳥達と一緒に暮らし始めます……。
この短編集、大好きで何度も何度も繰り返し読んだものでした。
しかし、どことなく「ぼくのまっかな丸木舟」を思わせる展開ですね。
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コースケは病院のベッドの上で三日三晩、丸木舟に乗って六月川を下る夢を見ます。
破滅的SFのこの作品の中で、唯一美しいシーンです。
舟で川を下りながらコースケは、川岸で行われている色々な事件を見ています。
絵に描いたような夢の情景です。
そして、何かいいことが待ち受けている予感がするのです。
「そんなきもちになるのは、きっと川の水が青すぎるからなんだ。」
なんて、名セリフです。非常に印象に残ります。
このシーンが印象に残るのは、成長期の少年少女の心の変化を象徴するような集合的無意識に通じるシーンだからでしょうか。
或いは、誕生のシーンをなぞっているのかもしれません。第二の誕生でしょうか。
私は、この美しい、印象に残るシーンは、この物語で大きな意義を持っているように思うのです。
しかし、この夢は、正夢ではなく、逆夢のようになってコースケに実現してくるのです。
この物語では、水谷博士は、30年後の予言を発表しようとして、パニックを恐れた政府や財界人の反対にあいます。
しかし当時、『ノストラダムスの大予言』や『日本沈没』が無事に出版されていますから、いくら作家ではない科学者だとはいえ、パニックを恐れて出版停止、ということまではしないと思います。
現実の社会では、一科学者が警告を発しても、何をトンデモな、という反応が一般的でしょう。
……と冷静なことを言っておいて、しかし、近々確実に小惑星が衝突する、といったようなことは発表されないこともありうるのでは、と思ったりもします。
(『ついらくした月』では、危険は最後まで発表されませんでした。)
また、コースケが、滅亡時には僕は何歳……と計算するシーンがありますが、これは、少年少女時代にノストラダムス予言に触れた世代にはよく分かる心境だと思います。
「三十年もしないうちにじぶんがほろびてしまうことをしってる子どもがみるゆめなんて、ひでー悪夢にきまってらー。」
これもよく分かる心境ですねー。
この物語に登場する六月川、「信濃川や石狩川に次いで、日本で3番目に長い川である。」という記述があります。
あるサイトでは、日本の長い川は、上から順に、信濃川、利根川、石狩川の順だということです。
作者の久保村さんはあとがきで、六月川は、信濃川をモデルにした、と書かれています。
『犬の学校』の埼玉県飯能市とともに、記憶に残る舞台です。
「われわれおとなは、じぶんたちが生みだしたおろかでいまわしい死を、子どもたちにまでおしつけるべきではないし、またその権利もないんだよ。」
と言って水谷博士は子どもたちを改造しますが、博士もまた、自分の考えを押し付けています。
子どもたちには、改造手術を受けるか受けないかという選択の自由はありません。
知らない間に改造されているんですね。
「水谷博士は、自分の未来予想と改造手術を、子どもたちにまでおしつけるべきではないし、またその権利もないんだよ。」
なんですねー。そんな風に突っ走ってしまうところが、マッドサイエンティストたる所以でしょう。
同じ創作子どもSF全集に、
があります。
その作品では、山岡社長は、子どもたちに説明します。
そして子どもたちは、父や母や友人たちがいる地球を捨て、滅亡に瀕する星を救う道を選択します。
こちらは理性的ですね〜。
水谷博士の改造手術を受ければ、やがて声帯は退化していくようです。
言葉がなくなれば、文化はどうなるのでしょうか。
人類が生きのびても、文化が生きのびられないのでは……。
文化や科学こそが地球上に生物が住めなくなるようにした、といえばそれまでですが。
さて、最後にコースケは、嵐の中、丸木舟に乗って荒れる川を下って脱出します。
嵐に始まり、嵐に終わる。
コースケはその後、どうなるのでしょうか。
嵐の中、荒波の中に消えてしまうのでしょうか。
それとも、嵐を乗り切って助かるのでしょうか。
もし助かった場合、水谷博士の計画はどうなるのでしょうか。
謎を残す結末です。
このように、完結した結果を描かずに、その後に含みを持たせた結末となっているのが、この物語が記憶に残る一つの要因でしょう。
ところで、まっかな丸木舟とは、一体何なのでしょうか。
何かの象徴なのでしょうか。
元来、この丸木舟は、コースケとノリオを川におびき寄せるためのものなのだから、水谷博士側の物質のはずです。
ところが最後には、コースケが逃げる時の乗り物となっており、
「ゆけ、ぼくのまっかな丸木舟。」
というコースケの叫びで物語は終わっています。
この時には既に、丸木舟は水谷博士側のものではなく、コースケ側のものとなっています。
タイトルにもなるくらいだから、ともかく非常に貴重なものなのです。
コースケは、丸木舟に非常に執着します。
ベッドの上でうなされている時も、ノリオのことより丸木舟のことを考えています。
歩けるようになると、まず川に丸木舟を探しに行きます。
そして、六月川の上流の水谷研究所に行く時も、重い丸木舟を離そうともしません。
成長期に執着するもの……?
使い方次第で落とし穴にはまったり、しかし人生には必要なもの……?
フロイト学説によれば、赤い色は何々の象徴で……とか、細長い丸木舟は……とか、穴の中に入って寝るのは……とか解釈するかもしれません。
或いは、科学、言語、道具……?
ともかく、この点、色々な解釈ができます。
しかしそもそも、水谷博士の方法は、まどろっこしいと思いませんか。
子どもたちを改造したいのであれば、西岸良平の『海底人8823』のマッドサイエンティストがやったように、黙って誘拐して改造すればよいのです。
それを、わざわざ嵐の夜に丸木舟を捕まえさせたり、一旦助けて病院に入れたり、それから改めて研究室に招待したりと、手間暇かけすぎます。
そして、挙げ句の果てに、逃げるための道具となる丸木舟を持っていくのを許したために、間抜けにもすき間から逃してしまうのです。
本当に間抜け、詰めが甘い。
いや、その前に、ヨーコが謎のセリフを言っています。
「あんたのものだってことがわかれば、それでいいのよ」
ヨーコや博士は、コースケと丸木舟の関係を重視しているようです。
ここら辺、何か深い意味が潜んでいそうです。
ひょっとして水谷博士は、コースケに、人類の選択の機会を与えているのではないでしょうか。
2003.07.13(日)
犬の学校 だけどぼくは海を見た ピカピカのぎろちょん ←これらのページもご覧下さい。
★ミ ★ミ ★ミ ★ミ ★ミ ★ミ ★ミ
復刊ドットコムで復刊リクエスト されています。ご協力お願いします。
著者の久保村恵さんに関しては、検索しても情報はほとんど出てきませんね。
グレフルbook ぼくのまっかな丸木舟/久保村恵/国土社
http://futabk.blog1.fc2.com/blog-entry-397.html
↑こちらのコメント欄に貴重な情報が集まっています。
「ラボ教育センター」の「ことばの宇宙」という機関紙に連載が掲載されていたそうです。
「悪魔のネクタイ」1969年11月号〜1970年10月号 久保村恵・著
「地下道のタップダンス」1971年1月号〜1971年6月号 鈴木悦夫・著
「地図の中の時間(悪魔のネクタイ第2部)」1971年7月号〜1972年6月号 久保村恵・著
読んでみたいですね。
児童書読書日記
■[児童書・国内]「ぼくのまっかな丸木舟」(久保村恵)
http://d.hatena.ne.jp/yamada5/20060401/p1
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