空想力、冒険心、勇気、愛情をはぐくむSFの名作集!
<エスエフ>世界の名作
SFこども図書館(岩崎書店)
第18巻 合成人間ビルケ(旧題:合成人間)
(ベリヤーエフ・作/馬上義太郎・訳/井上洋介・絵)
いきている首 [冒険ファンタジー名作選(第1期)] アレクサンドル ベリヤーエフ 琴月 綾 岩崎書店 2003-10-15 売り上げランキング : 325325 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
★(あらすじ)★
医学校を出たての女医・ローランは、学校の先生の紹介によって、ケルン教授の研究室の助手として採用される。
そこでのローランの仕事は、たくさんのチューブにつながれてガラス板の上に載っている生きている首の世話!
その首は生前、死体から摘出した器官を生き返らせる研究で有名だったドウエル博士であった。
やがて博士と仲良くなったローランは、喘息の発作で倒れている間に助手だったケルン教授によって首だけにされていた、と聞かされる。
首だけになっても科学者としての情熱は衰えず、死体を生き返らせる研究はやめられず、今でもケルンを指導しているドウエル博士。ケルンは、ドウエル博士の首のことは秘密にして、研究成果を自分の名前で発表しているのである。
こんなことは許されない、と憤るローランにドウエル博士は、研究が完成するまではケルンを訴えるのは待ってくれ、と頼む。
ケルンは、学会発表のため、ビルケという若い踊り子の死体を調達し、生き返らせる。
体が欲しい、と泣くビルケの訴えに、ケルンは、別の死体の体と合成することを思いつく。
ドウエル教授もこれに興味を示し、ケルンを厳しく指導し、ついに成功する。
しかし、ビルケは、体が自由に動くようになると、何処へかに逃走してしまう。
ローランはケルン教授と言い争い、監獄のように警戒厳重な精神病院に入れられる。
一方、ビルケは、ドウエル教授の息子・アーサーと、列車事故で妹が行方不明になっているという、画家のラーレと知り合う。
ラーレの妹のアンジェリカは列車事故で妹が行方不明になっていた。実はアンジェリカこそ、ビルケの体だったのである。
ケルンが悪人だと知った三人は、ドウエル教授とローランを救出し、ケルンの悪を暴こうとするが……。
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★(書評:科学にとってもSFにとっても自由な想像ができた時代!
想像せよ、現代の子どもたち、そして大人たち!)★
小学校の図書館にありましたねー。
表紙には、ガラス板の上に載っている、白い髭の、頭の禿げたドウエル博士の首が描かれています。
すごく印象的な表紙ですねー。表紙や挿絵は井上洋介さんが描かれております。
不気味な題材を描いているのですが、どこかユーモラスなところを感じさせます。
特に、ドウエル博士の真ん丸い目がポイントでしょう。
他に、愛くるしいローラン、ずる賢そうなケルンなど、井上洋介さんの挿絵がはまっています。
このシリーズは、私が小学校在学中に、装丁をマイナーチェンジしました。
表紙の絵は変わりませんでしたが、表紙の上部が赤色だったのが黄色になり、本文の印刷文字の色が青や茶から黒になり、ついでにタイトルも一部変更しました。
本書のタイトルも『合成人間』から『合成人間ビルケ』に改題。
原題は『ドウエル教授の首』というそうで、どちらにしろ、想像力をかきたてる、面白そうな題名です。
他の本では、『生きている首』と訳していまして、これもうまい題名ですね。
私が初めてこの本を読んだのは小学校中学年の頃、旧版でだったような気がします。
「合成人間」というアイディアや言葉の響きが気に入り、図工の時間で、紙粘土で首が動くこけしを作った時に、「人間とロケットの合成人間・ロケット人間」というのを作ったことを覚えています。
小学高学年になって新版が図書室に入ってから読み直し、やはり気に入ったようです。
中学生になってから、創元推理文庫から完訳版『ドウエル教授の首』が出ているのを知って購入し、何と夏休みの宿題の読書感想文で取り上げました。
頭の固い国語の先生はさぞびっくりしたことでしょう。
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ちなみに、中2の夏休みの読書感想文は、やはり同じ創元推理文庫『紅はこべ』でした。
中3の時の感想文は忘れました。多分、どうでもいい本だったのでしょう。
ともかく、小学校時代に子ども向けの翻訳で読んだ海外の作品が、文庫本で完訳で出ているのはいいことですね。
私は、子ども向け翻訳で読んだ本から文庫本へ入りました。
そんな意味で、SFにしろミステリーにしろ、文学にしろ、いい作品を子ども向けに翻訳するのは、SFやミステリーに限らず、将来の読書好きを育てる上で非常に大事なことだと思います。
よく「日本語版翻訳権独占」なんてやっている出版社がありますが、これは長い目で見て、将来の読者を増やすという観点から良くないのではないでしょうか。
本書の作者のベリヤーエフ(1884〜1942年)は、“ソビエト空想科学文学の代表的作家”と、「はじめに」で訳者が紹介しています。
H・G・ウェルズ(1866〜1946)とほぼ同時代人ですね。
ベルヌやウェルズほどの知名度はありませんが、それでもネット書店で検索してみると、私が生まれる前には子ども向けの全集が発売されるなど、結構翻訳されていたようです。
再発見・再評価が望まれる作家ですね。
本書を読み返してまず思うのは、ドウエル博士の研究にかける情熱ですね。
ケルンも研究心旺盛で、しかも功名心が高く、上司を首だけにしてまでも手柄を独り占めしようとします。
この手の悪人の心理はまあ、理解できます。子ども向けのミステリーにもよく出てくる典型的な悪役パターンです。
しかし、ドウエル博士のように、首だけになっても研究を続け、しかも、自分を首だけにした人間を指導している、という心理は、複雑なものです。
「死んだ方がましやんか」と思いたくなります。
研究にかける情熱と、人間関係の複雑さ。
子どもたちに大人社会の複雑さを垣間見せます。
それにしても、2つの死体をつなげるというのは、免疫学の知識が普及した現在では、難しいことが分かっています。
それならむしろ、死んでしまった一人の死体を生き返らせる方がまだ現実味があります。
未だ免疫学が発達していなかったベリヤーエフの時代には、こんなこともSFで描けたのです。
ああ、SFにとって何でもできた古きよき時代よ!
科学が発達した現在、SFはもっと先を想像しないといけなくなっているのです。もっと想像を!
本書の解説では、訳者の馬上義太郎さんが、
「死そのものを研究し、その原因をたずね、そして死を防止し、さらに生命をとりもどす道を研究する科学」
という、タナトロギーについて書いておられます。
17世紀に始まるこの試みについて実例を挙げて説明した後、1913年には死んだ犬を生き返らせ、第二次世界大戦では
「多くの兵士たちが、死の世界からふたたびよみがえることができました」
と書かれています。??一体、どういうことでしょうか?
この小説についても
「これまでのいろいろな実験の例によって、将来あるいは、そういうこともできるのではないかとかんがえられるのです」
と書かれています。
馬上義太郎さんがこの文章を書かれた当時の、科学やSFが元気だった頃の活気が伝わってくる、自信にあふれた解説です
子どもだった私も当時は違和感なく読んでいたのでしょう。
しかし、「知れば知るほど知らないことを知る」といいますが、そんなに簡単でないことは、現代の科学で分かってきています。
知れば知るほど知らないことを知った科学、科学に追いつかれた感のあるSF,ともに壁にぶち当たっているのが現代の状況ではないでしょうか。
特にSFにとって、非現実的なことを書いたら、変な科学的突っ込みを入れられてネタにされる時代です。
この、SFにとって不幸な時代を突き抜けるには、科学をはるかに上回る想像が必要なのでは?
私もいずれ、SF小説を創作してみたいですね。一緒に未来のSFや科学や世界について考えていきましょう。
想像せよ、現代の子どもたち。
想像せよ、かつての子どもたち。
そして創造せよ、新しい未来を!
2001.8.19(日)
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